青柳家
 1603年、青柳家は芦名義勝とともに角館に入り、歩行頭(おかちがしら)となりました。もとは、表町上丁の西側にあり、芦名家断絶のときに減封されましたが、次第に財を増やしていき、戊辰戦争に従軍した頃には150石もの大資産家となりました。