ヴィクトリア銘洋鐘(中之郷藍ヶ里?大御堂)
 1864年(元治元年)、第二長崎丸(前名ヴィクトリア)が藍ヶ江に漂着し沈没しましたが、その後、洋鐘が引き上げられました。
 長崎丸には、緒方精齊、吉雄幸次の2人の医師が乗っており、天然痘の種をもっていた。このとき、たまたま八丈島で天然痘が流行していたので、種痘の接種が行われました。(日本で行われた種痘の中でも早い)
 また、引き揚げられた大判・小判が初めて八丈島で流通し、貨幣流通の初めになったといわれています。