島酒の碑(大賀郷護神山)

 丹宗庄右衛門は、島津藩御用の廻船問屋で、苗字帯刀を許されていたほどの人物だったのですが、密貿易をしていたことが幕府に知られてしまい、八丈島に流罪となりました。彼は、飢饉となる心配があるので、米からお酒を造ることはできなかった八丈島に、薩摩芋から造る焼酎の製造法を伝えました。 
(碑の解説文の原文)
 丹宗庄右衛門が流されて来た時、島では穀類から酒を造ると、飢饉を招く心配があるので、禁酒令が敷かれていた。
 そこで彼は穀類でない薩摩芋から造る故郷の焼酎製造法を伝えたので、酒に飢えていた島民から大変に感謝された。
 八丈島には現在6軒もの焼酎製造元があり、本土にまで出荷しているが、この碑はその由来を記して、流人の功績を永く後世に伝えようとしたものである。