流人の碑(三根神湊東)
 流人の数は資料により少しずつ異なっています。(265年間で、1862人など)
碑文(全文原文のまま)
江戸時代の八丈島への流人は1900名程であり、その内の半数は刑期半ばにこの島で亡くなっています。御定書の付文に「流人ソノ生活勝手タルベシ」(自分で勝手に生きなさい)とあるように、突き放された流人たちの中には、飢餓や流行病で亡くなる者、本土恋しさに抜け船を計って処刑された者等様々ですが、いずれも恋しい人や最愛の妻あるいは可愛い我が子と再会出来るご赦免の日を待ち侘びながら、寂しく亡くなったものと思われます。しかし、刑期満了後も島に残り天寿を全うした人々もいました。