大坂隧道之碑(大坂トンネル坂下側入り口)
 八丈島は大坂越(おおさかごし)、登龍峠を境にして坂上3村と坂下2村に分かれていました。この坂上と坂下を結ぶ主要街道の大坂越は、急な坂で崩壊も多く、危険な道でした。
 1907年に日露戦争の戦勝記念事業として、大坂トンネルと大里を結ぶ新道が建設されました。工事の途中では、何度も大崩落が起こって、そのつど犠牲者を出したうえ、政府や東京府からの補助金はなく、島民からの税金だけで造られたため、倒産する会社が出るなど、大変な難工事でした。
 右側の四角の碑がそのときの大坂隧道の碑です。左側が昭和43年竣工した拡幅工事を行ったときの大坂隧道改修之碑です。