抜船の場(三根神湊東)
 下にも書いた解説文によるものとは別に、八丈島誌によると、1737年の佐野新蔵等の陰謀、1860年、1873年の騒乱も含めて、18回の抜け船事件があり、82人が脱島しています。その殆どは途中で捕まるか遭難しました。成功したこともありましたが、結局、江戸で捕まって死罪となっています。
(以下、解説文原文)
宇喜多秀家が流されてから明治4年(1871)に至る265年間に八丈島に1917名の流人が送られて来た。
流人の中には漁船を盗んで脱出をを計る者も居たが、これを抜船と呼び、11回も記録されている。しかし、追手に捕らえられたり、波浪に呑まれたりして殆どは失敗し、成功した記録は1件だけである。此処は漁船も多く、北側に面していて、抜船に好都合の所だったらしい。