仮設望楼(乙千代ヶ浜)
 日露戦争の時に、ロシアが主力艦隊であったバルチック艦隊をバルト海からウラジオストックへ移動させるという情報を得た日本海軍は、各所に監視所を設けました。
 バルチック艦隊は太平洋を通る可能性もあったため、八丈島にも1905年4月に3つの監視所が置かれました。
 乙千代ヶ浜には、そのときの仮設望楼が復元されています。(正確な場所についてはわかっていないようですが、このあたり・・・)
 他の2つは、永郷の遊ケ平(あそびがたいら)、末吉の神子尾(みこのお)にありました。
ただし、記録には、八丈東、八丈西、八丈北の3個所に、1905年(明治38年)4月29日に設置し、5月25日から使用を開始、12月9日に廃止されています。
 ちなみに、抜け船が一応成功し、流人が本土まで逃げたことが1回だけありました。そのときの首謀者であった佐原喜三郎もこのあたりで、海を観察したと言われています。