八丈島甘藷由来碑(大賀郷大里)
 古来から、八丈島では芋を朝食にしていましたが、この芋とは里芋のことで、サツマイモは後から伝来したものでした。
 八丈島にサツマイモが伝来したのは1723年(享保8年)ですが、普及することはありませんでした。後の1811年(文化8年)になって、菊池秀右衛門が赤サツマ種を、翌年に子の小源太がハンス種を新島から持ち帰り、全島に普及したものとされています。
 この石碑は、菊池右馬之助が、祖父、父の功績を讃えて1866年(慶応4年)に建立したものです。
 八丈島では、サツマイモの伝来により、飢饉の回数と被害が減ったばかりか、人口も増えるという食料革命がおこりました。
 なお、八丈島では、サツマイモのことを「かんも」と言いますが、これは唐芋から、かんもと呼んだものです。