石山留五郎墓(大賀郷東里)
 石山留五郎は、天保15年に八丈島に流刑となり、明治17年3月17日(77才)で没しました。大工の棟梁として、末吉にある長戸路屋敷などを建てています。多くの弟子に、その技術を教えて島に貢献しました。
 また、万延元年、流人による暴動の際、役所に通報したことによって褒美をもらっています。