ふるさと村(大賀郷大里)
大里の玉石垣を見たら、ふるさと村に行きましょう。
無料だし・・・

 八丈島歴史民族資料館の裏側(甘藷由来碑のある通り)から、大里に通じる道の途中に、ふるさと村があります。この道は馬路と言って、八丈島の中でも最も古い道と言われています。
 ふるさと村にある民家は、母屋、高倉、まや、閑所が揃っていて、昔の八丈島の民家を知ることができます。
四脚高倉

 八丈島では、高温多湿な気候風土に対応するため、高倉が造られました。
 八丈島の高倉は、4脚、6脚、9脚、12脚の4種類があります。ただし、、12脚は一般の家には使われず、末吉の長戸路家に残るのみのようです。
 この高倉を支えている脚の数により倉の規模が表されおり、富の象徴となっています。
 倉の床下の空間をクラノシタ、クランシタと呼び、土間に代わる作業場や一時的な収穫物置場にしていたほか、穴を掘って、里芋や甘藷(サツマイモ)なども貯蔵していたようです。
 高倉には階段が無く、必要なときに梯子をかけて使っていました。ふるさと村では、見学用に梯子がかけてあります。
母屋。

テレビに、何度も出てきてます。
これが、母屋の中。
壁が無いのが特徴。畳の敷き方も違うようです。
マヤ(厩・牛小屋)

 八丈島には馬がいません。牛小屋のことを厩と言っています。

馬路(うまじ)と呼ばれる道も、牛のことを指していると思われます。
 マヤと閑所が隣接しているのは、牛小屋から掻き出すカヤ(牛の餌)と、便所から汲みだす下肥とを混ぜて、堆肥とするためです。
閑所(かんじょ)

トイレです。
 肥料が貴重な時代、客人をもてなした後、帰りに用を足してもらうため、出入口付近にあります。
 歓迎の「歓」の字が転じて「閑」となったと言う説もあります。
 これが、閑所の中。
 中にある板を跨いで使います。紫陽花(アジサイ)の葉がちり紙として使われました。採り立てより2〜3日経ったものがいいらしいみたいです。